20250727日曜午後礼拝
聖書:ルカ16:9−13
題目:管理人の選択
賛美:242、249
説教:高曜翰 牧師
”またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。 また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。“
ルカによる福音書 16:9-13
1。将来の利益を見る
経営学者で有名なピーター・ドラッカーは「企業の最も重要な資材は人間である」と言いました。会社の目的は「利益の追求」だと考えがちですが、そうではないことを教えています。利益だけを追いかけると、目先の一時的な成果は得られても、従業員の離職やモラルの低下などで長期的には悪影響になります。持続可能な会社を作るには、人を育てることが大切です。ユニクロの柳井正社長は「人を育てることが、会社の強みとなり、結果的に利益に結びつく」と発言しています。企画から製造、物流、販売までを一貫して管理する手法はリスクが非常に大きいですが、それを維持できる人材を確保できた時、大きな利益を上げることができます。一見無駄に見えても、教育に力を入れる企業が生き残る力を得るのです。例えば、1時間稼働すれば数千万円の製品を作ることの製造ラインをわざわざ止めて、義務でもないのにお金を払ってでも講習会を行う企業があります。なぜでしょうか?それは目の前の利益ではなく、将来の利益を見ているからです。このお話が今日の聖句を理解するのに役立てば幸いです。
2。不正な管理人の譬え話
このお話を正しく理解するために、背景から一緒に見てみましょう。パリサイ人は、罪人と一緒に食事をしているイエスを見て非難しました。それに対してイエスは「放蕩息子の比喩」を用いて、神は罪人が悔い改めて帰ってくることを喜び、それを子供達と一緒に喜ぶことを望んでいると、説明しました。その後、「不正な管理人」の比喩を弟子たちに対して始めたのです。この例え話は、罪人と一緒に食事をするイエスを、受け入れることのできる弟子達を、訓練するためのものなのです。
あるところに、主人から財産の運用を任されていたのにも関わらず、その財産を浪費する管理人がいました。やがて浪費の噂が主人の耳に入るようになり、主人はこの管理人を解雇することに決めました。そして、最後に会計報告の提出を求めました。この段階では主人は管理人が不正をしたとは断定できていません。解雇しようとしたのは、管理人が不誠実だからでなく、無責任だと感じたからです。
管理人は自分がクビになった後のことを考えました。土堀りとは、肉体労働のことで、奴隷か能力のない者の仕事になります。物乞いとは、不名誉な職業になります。どちらも自分には無理だと判断し、主人の債務者達をひとりひとり呼ぶことにしました。恩を売っておいて、クビになった後に雇ってもらおうと考えたからです。
管理人は証文の金額を主人の相談なしに、無断で書き換えました。油100バテを50バテ(約500万円の免除)、小麦100コルを80コル(約500万円の免除)と書き換えました。明らかな不正行為です。しかも、自分が直接書き替えるのではなく、負債者に修正させ、罪を犯させています。また、書類上のみの変更なので、バレにくい手口です。
やがて、その悪質な不正は主人の気づくところになるのですが、管理人に対して怒るのではなく、その抜け目のない行動を誉めました。注意したいのは、不正をした管理人の人格でも、不正自体を誉めたのでもありません。そのやり方を褒めたのです。
当時、飢饉などの災害の際に、負債を減額することで名誉を得ると言うシステムがありました。この主人も管理人の不正によって、名誉を得る事態になっていたのです。もし、負債の減額を今更取り消せば、不名誉なことになってしまいます。主人は管理人の不正をそのまま受け入れるしかありませんでした。証文の書き換えを無効にできないため、不正な管理人は未来を勝ち取ることができたのです。主人が称賛したのは、今持っている地位や権利を最大限利用して、将来の平安を手に入れようとした管理人の選択にありました。
3。適用
この物語からわかる三つのポイントを説明します。まずは、私たちの持っているものは全て神様からの預かり物です。イエスは、今持っている「この世の財産」を「不正の富」だと表現しました。「自分のもの」は存在しないという意味です。聖書は「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住む者とは主のものである」(詩篇24:1)と教えています。全ては神のものであり、自分の持っている富はあくまで神からの預りものなのです。「この世の財産」は死後に持っていくことができません。だから、人の所有物ではないと言う意味で、「不正の富」という表現をしているのです。
そしてもう一つ「不正の富」には重要な意味が隠されています。この本文では「富」を表す言葉をわざわざ「マモン(マモナス)」と言う単語を使用しています。新約聖書では計5回登場していますが、今日の本文で3回使用されています(あとはマタイ6:24とピリピ3:19)。「プルートス(富、財産)」や「アルゴリオン(銀貨、お金)」など、ギリシャ語には他の単語があるのにもかからわず、なぜわざわざアラム語の「マモン」を使用したのでしょうか?それは「マモン」には「信頼するもの」と言う意味が含まれているからです。当時のユダヤ人には、「富」=「神に愛されている証拠」という考えがありました。信仰によって、富、健康、成功が手に入るという教え(祈福信仰)です。そのため、富に絶対なる信頼を置く傾向にありました。イエスは、富を信頼するのと神に信頼するのとは全く違うということを伝えるために、「マモン」という言葉を使用したのです。もしみなさんが、お金があったなら…死なずに済んだ?いい大学に入れた?あの人と結婚できた?などと考えるのなら、神様ではなく「マモナス」に信頼を置いていることになります。要するに、この世の財産は神様からの預かり物であると同時に、悪魔の影響を受けた「不正な富」にもなっているのです。
次に、私たちは主人を財産を任された管理人です。財産を任されたのは、管理人が自分勝手に浪費するためではなく、主人の財産を増やすためです。同じように私たちが手にしている財産は、神の国のために用いるよう任された預かり物なのです。人によって持っている量が違うのは、それぞれ神の国への責任が違うということです。多く持っているものはより大きな役割を任されているからなのです。もし私たちが持っている財産を、自分の快楽のためだけに使っているというのであれば、それは浪費がばれてクビになりそうな不正な管理人と同じ状況かもしれません。罪を犯した私たち人間は、自分の罪のために働くこともできず死んで当然の存在です。そんな私たちを救って用いているのが主人である神様なのです。私たちは神様の憐れみによって生きており、神様のため管理人として存在しているのです。
だから、私たちは持っている物を神の国のために用いましょう。イエスが伝えたいのは、この世でどれだけ財産を残すことができるかではなく、この世の財産を何に使うかが重要だということです。「不正の富を用いてでも、自分のために友達を作るが良い」というのは、「この世の富を用いて、共に神の国を楽しむ友達と作りなさい」という意味です。「小事に忠実な人は大事にも忠実である」というのは、「この世の財産を神に忠実に使う人は、神の国の財産も神に忠実に使う」という意味です。今持っているものを、目先の目に見える財産のために使うのではなく、将来の目に見えない財産のために使うのが賢い知恵あるやり方だということです。
イエスが不正な管理人を称賛したのは、不正の富を使って、主人に栄光を返し、将来の自分がが将来入る場所のために使ったからです。非常に賢いこの世の富の使い方をしたのです。イエスは「どの僕でも、二人の主人に兼ね仕えることはできない。あなた方は、神とマモンとに兼ね仕えることはできない」と言いました。あなたは今持っている財産を何のために使いますか?さらに財産を増やすことが目的なら、それはマモンに仕えていることになります。福音を伝えることが目的なら、神に仕えていることになります。私たちはどちらかを選ばなければなりません。なぜなら二人の主人を持てば必ず矛盾した命令が来て、働くことができなくなるからです。あなたはどちらを選びますか?私たちは、神様を利用してマモンに仕えるのではなく、マモンを利用して神に仕えるべきではないでしょうか?パウロは、この世の富を愛し求める者は信仰から外れて、多くの苦しみを受けると言いました。私たちは、目先のマモンに惑わされず、将来のために神に仕える選択をしましょう。
”富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陷るのである。 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。“
テモテへの第一の手紙 6:9-10
4。まとめ
不正な管理人の譬え話からわかることは何か?
①この世の富は神様からの預かり物である。
②私たちは神の国の管理人である。
③この世の富を神の国のために用いましょう。
→神様を利用してマモンに仕えるのではなく、マモンを利用して神様に仕えましょう。
そうすることで私たちは神の国で生き続けることができます。
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