20250810 日曜午後礼拝
聖書:ローマ8:15
題目:甘えられる人
賛美:560、563
説教:高曜翰 牧師
“あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。”
ローマ人への手紙 8:15 口語訳
1。甘えることは悪いことか?
心理学者ジョン・ボウルビィが提唱し、メアリー・エインスワースが発展させた愛着理論というものがあります。これは、幼少期に形成される養育者との関係が、その後の人間関係や心理的発達に影響するというもので、四つのタイプに分類されます。
一つ目は安全型です。養育者が一貫して反応的で愛情深い場合です。子供は安心して探索し、困った時に養育者に戻ることができます。大人になると、安定した人間関係・恋愛関係を築きやすい傾向にあります。
二つ目は回避型です。養育者が冷淡で拒否的な反応を示す場合です。子供は感情を抑えて独立を装うようになります。大人になると親密さを避け、距離をとりたがる傾向にあります。
三つ目は不安型です。養育者が一貫性のない対応(時に過保護、時に無関心)をする場合です。子供は不安定になり、しがみつきますが、安心できません。大人になると、見捨てられる不安が強くなり、束縛的になりやすい傾向にあります。
四つ目は混乱型です。養育者が恐怖の対象である場合(虐待など)です。子供は接近と回避が混ざった反応をするようになります。大人になると、対人関係が混乱しやすく、自己制御が難しくなる傾向にあります。
この愛着理論から何がわかるのでしょうか?幼少期にしっかり甘えられた子供は、安全な愛着が築かれており、自立心、他者への信頼、感謝といった人格の土台が作られます。しかし、甘えられなかった場合は関係の形成に悪影響を及ぼすということです。他者への依存や距離の取り方に苦労するようになります。
大切なのは、しっかり親に甘えることができた人が、他者と良い関係を築きやすいということです。これは神様との関係においてもそうです。神様にしっかり甘えることのできた人が、信仰生活において不可欠な奉仕においても、隣人と良い関係を築くことができるのです。
放蕩息子の譬え話に出てくる兄、マリヤの姉妹であるマルタ、ニネベを救った預言者ヨナ、彼らは自分たちの奉仕に対して不満を持ちました。彼らは神様に十分に甘えられなかったからではないでしょうか?それでは本文を通して詳細を見ていくことにしましょう。
2。本文解説
パウロは「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく」と言いました。ここでは私たちとキリストとの関係が、一般的な奴隷と主人のような恐れの関係ではない、と言うこと教えています。「再び」と言っているのは、キリストの恵みではなくモーセの律法の下にに戻ろうとしている人々がいたからです。しかし、もはやキリストの恵みによって、私たちと神様との関係は、律法時代の、失敗したら怒られるといった関係ではないということです。
次に「子たる身分を授ける霊を受けたのである」とあります。私たちとキリストは子と親の関係なのです。ギリシャ語を見ると、私たちが養子になったことがわかります。養子というと、何か関係が遠いような感じがするかもしれませんが、ローマの法的には正式な相続人として完全に家族になったということを意味しています。実際、ローマの皇帝アウグストもカエサルの養子で、皇帝の地位を正式に引き継ぎました。神の国でも同じです。なぜなら血筋ではなく、信仰によって神の子となるからです。
そして「その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」と書いてあります。形だけではなく、心からの親子関係を作ったのです。『アバ』とはアラム語で親密さを表します。また『父よ(パテール)』はギリシャ語で敬意を表します。そして『呼ぶ』とありますが、ギリシャ語を見ると、単に呼ぶのではなく、叫んでいることがわかります。これは強い感情を伴う心からの呼びかけです。つまり私たちは聖霊によって、力強く『アバ』と呼ぶことのできる存在なのです。
この聖句から、私達は神様に甘えられる存在であることがわかります。恐れや不安ではなく、神に愛されている子として近づくことができるのです。信仰によって、罪から解放されただけでなく、神の子としての身分が回復したことを忘れてはいけません。
神様に甘えることができない場合、奉仕は奴隷と主人の関係性の中で行われます。失敗すれば怒られます。報酬がないと不満が出ます。そして認められるため自分を表そうとします。このような状態では喜んで奉仕することができません。放蕩息子の譬えの兄、マリヤの姉妹マルタ、ニネベの滅亡を待つヨナ、彼らは神様に甘える弟、マリヤ、ニネベの民たちを許すことができませんでした。なぜなら奴隷と主人の関係性の中にいると思っているからです。
しかし、親に甘えられなかった人が多いのが現実ではないでしょうか。親に甘えたこともないのに、どうして神に甘えられるのでしょうか?今日は甘えることが下手な私たちがどのようにすれば神様に甘えることができるのか見ていきましょう。
3。神様に甘えるために
一つ目は、神様は親としての理想像だということを受け入れましょう。
“たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。”
詩篇 27:10 口語訳
この世の親は不完全な人間であるため、親としても不完全になってしまいます。子供を捨ててしまうこともあります。しかし、神様は完全な親としての姿を持っています。そのため、決して私たちを捨てることはありません。私たちの過去や不器用さのせいで、神様が捨てる事はありません。むしろ、私たちがこの世で受けた傷を癒すために、神様は招いています。私たちが親に甘えることができなかった分、神様に甘えてください。それが正しい親子の姿です。
二つ目は、甘えるために弱さを全て見せましょう。
“だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。”
ヘブル人への手紙 4:16 口語訳
親に助けてもらうために必要なことは何でしょうか?立派になることや、良い子になることではありません。大切なのは正直になること、助けを求めること、遠慮なく近づくことです。私たちは弱さを見られると恥ずかしいく思うため、嘘をついたり、黙ってしまったり、近づくことをしません。しかし、神様はそれを望んでいません。甘えるためには、物理的な距離ではなく、心の距離を近づける必要があります。そのためには全てを晒す必要があります。完全に甘えるためには、自分の弱さを全て見せる必要があります。だからこう祈ってください。神様、私は甘えるのが苦手です。でも、あなたが愛してくださっていることは信じたいです。あなたの前では強がらず、正直に弱さを見せられるように助けてください、と。
そうすることで、神様にしっかりと甘え、平安な奉仕ができます。
“わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。”
ヨハネによる福音書 15:15 口語訳
親子の関係ができていない間は、主人と僕の関係になってしまいます。それは失敗すれば怒られる関係です。そのような状態では怖くて奉仕ができません。そのような状態で奉仕をしても、評価を得るため、見捨てられないため、義務としての奉仕にしかなりません。一方で、喜んで奉仕を続けられる人は、神様に甘えることができる人です。甘えることができた人は、失敗を恐れません。報酬がなくても大丈夫なので、自分を表す必要もありません。なぜなら神様が必ず自分に良い物を下さる方であることを確信しているからです。その確信は、これまで十分に甘えた経験から来ます。神様にしっかり甘えられる人は、愛されている確信があるため、周りに振り回されず、平安な心で奉仕ができるのです。
4。まとめ
心からの奉仕をするためには、神様に甘えることが必要です。そのためには、神様を理想の父親として受け入れ、自分の弱さを全て見せて下さい。そうすることで私たちは神様に甘えることができるようになり、他と比較することなく、感謝の奉仕をすることができるのです。
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