20220205土曜祈祷会
聖書:創世記28:1–5
題目:愛するとは赦すこと
説教:高曜翰 伝道師
場所:大阪中央教会
1.一人っ子のプレッシャー
アメリカで、一人っ子が親を逆恨みするケースを見かけたことがある。島田紳助も「ひとりっこは良くない」と語っていたが、その理由は、親の愛だけではなく“親の期待”までも一人で受け止めなければならないからである。期待の重さに押しつぶされてしまうことがあるのだ。
ある子どもは、小3の頃から家庭教師、そして小6になるまで朝食を親に食べさせてもらっていた。私はこのままではいけないと思い、18歳で家を出た。
ここで大切なのは、愛することと、期待することは違うという点である。特にクリスチャン家庭において、親が子どもにすべき期待は一つしかない。親の愛ではなく、親の“過度な期待”が子どもを霊的に追い詰めてしまうことがある。
2.イサクの期待
イサクは60歳の時にエサウとヤコブを授かった(25:26)。神様はすでに「兄が弟に仕える」と語り、ヤコブを選んでおられた(25:23)。しかしイサクはエサウがしか肉を取ってくるのでエサウを愛した(25:28)。
ところがエサウは霊的な価値を軽んじる人で(25:34)、その後ヘテ人の女二人を妻にしてしまった(26:34)。親の願うような信仰者ではなかったのである。
それでもイサクは、どうしてもエサウに祝福を与えようとした(27:4)。しかし彼の計画は失敗し、最終的に神様の計画どおりにヤコブが祝福を受けた(27:30)。
興味深いのはその後である。イサクは自分を欺いたヤコブをなお祝福し(28:1)、さらに神様の計画のために彼を家から送り出した(28:6)。
イサクはこの時、自分の期待ではなく、神様の計画通りに子どもを歩ませると決意したのである。
3.イエス様の期待
イエス様はどんな罪でも赦されるが、聖霊に逆らう罪だけは赦されないと言われた(マタイ12:31-32)。
これは「神の言葉や計画を頑なに拒むこと」を意味している。
親が“自分の期待”を押し付けると、それは神様の期待ではなく、子どもを縛る重荷になってしまう。期待とはときに「許さない」態度につながる。
しかし愛は、許すことである。
・義なる神は、人々に律法を守ることを期待された。
・愛なる神は、守れない人々を赦された。
私たちが子どもを期待することは自然だが、同時に許す心を持たなければならない。
パリサイ人たちの期待が人々を重荷で苦しめていたが、イエス様は「すべて重荷を負って苦労している者は来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われた。
4.結論
私たちは、子どもを愛するのではなく“自分の期待”を押しつけてはいないだろうか。
すべきことはただ一つ――子どもに対する神様の計画を認め、その計画に従って愛すること。
子どもたちが、
「神様が自分にくださった計画は良いものだ」
と喜んで受け入れ、歩んでいけるように、赦しと愛をもって支えていこう。


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