20250305早天祈祷会
聖書:使徒行伝7:44-50
題目:神様の住む場所
賛美:205、210
説教:高曜翰 副牧師
【聖書朗読】
荒野には、先祖たちのための証しの幕屋がありました。それはモーセに語られた方の命令どおりに、見せられた型に従って造られたものです。
この幕屋は、先祖たちがヨシュアに導かれ、神によって異邦人の民を追い払い、その土地を受け継いだときに運び入れられ、ダビデの時代まで受け継がれました。
ダビデは神の恵みを受け、ヤコブの神のために宮を建てたいと願いましたが、実際にその宮を建てたのはソロモンでした。
しかし、いと高き方は人の手で造った家には住まわれません。預言者も次のように言っています。
「主は言われる。
どのような家をわたしのために建てるのか。
わたしの安息の場所はどこか。
天はわたしの王座、地はわたしの足台である。
これらはすべてわたしの手が造ったものではないか。」
1.本文解説
(1)幕屋は神がモーセに示した設計図通りに作られました
幕屋の目的は、神の臨在が現れることにありました。
幕屋は荒野で作られ、約束の地に運ばれ、ダビデの時代まで用いられました。
神の臨在はエルサレムに限定されるものではありません。
(2)神殿も神がダビデに示した設計図通りに作られました
ダビデは仮の住まいではなく、本当の住まいを神のために用意したいと願いましたが、その願いは受け入れられませんでした。
実際に神殿を建てたのはソロモンでしたが、それも神から示された設計図に従って造られたものです。
幕屋も神殿も、天にあるものを写した影にすぎません。
(3)神は人の手で造った家に閉じ込められる方ではありません
預言者イザヤは次のように語りました。
「天はわたしの王座、地はわたしの足台である」という言葉のとおり、神様は人間が造った家に閉じ込められる方ではありません。
神殿は神様が現れる場所ではありますが、神殿でなければならないわけではありません。
これは、神殿を絶対視していたサドカイ人にとって大きな問題でした。
ステパノは、神は人の建てた建物に住む方ではないことを強調しています。
2.適用
(1)教会が偶像にならないように注意しましょう
ユダヤ人は神殿を誇りにしていましたが、ステパノはそれを偶像崇拝に近いものとして指摘しました。
教会でしか礼拝できないと考えることは正しくありません。教会にこだわりすぎることも偶像崇拝になり得ます。
神社やお寺に向かって礼拝することとは違いますが、牧師、礼拝堂、教団、礼拝の形式、教会の大きさなどを誇るなら、それも偶像崇拝になります。
私たちが誇るべきなのは神様だけです。
(2)私たちがいる場所が神様の栄光を表す場所です
エルサレムに行かなければ神様の栄光を見ることができないわけではありません。
私たちは神の宮です。私たちを通して神様の栄光が現れます。
自分がいる場所を神様を礼拝する場所として考えましょう。
一流大学や一流企業にいることが重要なのではありません。自分が行く場所そのものが、神様の栄光を表す最高の場所になります。
ベツレヘムやゴルゴダを特別なパワースポットとして見ることも避けましょう。
(3)私たち一人一人が神殿であり教会です
教会とは建物ではなく、人そのものです。
教会の目的は建物を大きくすることではなく、一人一人の土台をイエス・キリストの上に据えることです。
大阪中央教会が今あるのも、人間の努力ではなく神様の恵みによるものです。
今ここに私たちがいるのも、神様が与えてくださった使命のためです。
3.まとめ
① 神様は教会の中だけで栄光を現される方ではありません。
② 神様は私たちがいるどの場所においても栄光を現されるお方です。
③ 私たち一人一人が神の宮です。
教会は、一人一人を神の宮として建て上げるために存在しています。


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