20250810日曜午前礼拝
聖書:創世記2:24−25
題目:神が定めた結婚制度
賛美:95、304、559
説教:高曜翰 牧師
“それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。”
創世記 2:24-25 口語訳
1. 結婚の社会的目的
戦前までの長い人類の歴史において、結婚は「家の存続」のためにありました。当時はお見合い結婚が当たり前で、家系や家名を守ることが重視されていました。しかし、戦後から個人主義の考えが台頭し、結婚は個人の幸福を追求する手段という考えが主流になり、恋愛結婚が増えました。
1990年以降は、自由や時間、お金の制約から結婚する人が減少しています。結婚できない人たちは、良い出会いがないことや、低収入、奨学金返済などの経済的な不安を理由に挙げています。一方で、結婚したくない人たちは、一人の生活を好む、結婚のメリットがない、自分の人生を優先したいといった理由を挙げています。
いずれにしても、経済状況や価値観、ライフスタイルの多様化により、結婚のハードルが高くなっているのは確かです。しかし、聖書は結婚を、個人の選択や感情、環境に左右されるものではなく、神の創造の秩序として教えています。
2.女性を作った目的
結婚は男女のものですが、そもそもなぜ女性が作られたのでしょうか?女性には重要な役割があります。神様は最初に男性を創造しましたが、「人が一人でいるのは良くない」(創世記2:18)と言われ、女性を作ることにされました。これは、男性の孤独を解消するためです。また、「彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」とあります。つまり、女性は男性を助けるために作られたのです。女性に比べ、男性が物静かで気が利かないのは仕方ないのかもしれません。
女性は男性と同じ神のイメージで作られました。「すべての動物の中には人にふさわしい助け手が見つからなかった」(創世記2:20)ことからもわかるように、女性は男性と全く違う姿では作られず、男性に似せて作られました。これにより男性の孤独を癒し、良い助け手となることができたのです。実際、アダムは「これこそ、私の骨からの骨、肉からの肉」と喜びました。人を支えるのは、同じ神のイメージを持つ人がふさわしいことを示しています。
神様は男性のあばら骨から女性を作りました(創世記2:22)。なぜ女性を男性と同じ土から作らなかったのか、そしてなぜ頭や足からでなくあばら骨から作ったのか、イギリスの牧師マシューヘンリー(1662−1714)はこう説明しています。「女性が男性の頭から作られなかったのは、彼を支配するためではないから。足から作られなかったのは、彼に踏みつけられるためではないから。あばら骨、つまり側から取られたのは、彼と平等に歩むため。腕の下から取られたのは、彼に守られるため。心の近くから取られたのは、愛されるために。」
また、骨を抜き取ったところを肉で塞いだとあります(創世記2:21)。なぜ新しい骨を作らなかったのでしょうか?それは、アダムは一部を失い、その失った部分を女性に見出すためです。つまり男性と女性はお互いを補い合う存在であることを示しています。このように、男性と女性の間に神様がある秩序を与えられました。それが結婚です。結婚は人間の作った社会的な制度ではなく、神様が作られた創造の秩序です。
3. 結婚の聖書的目的
聖句にあるように、「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い」(創世記2:24)ます。両親が存在する前に夫婦の関係が作られたことを示しています。また、両親から離れて夫妻となることを教えています。親子関係には終わりが来ますが、夫婦の関係は最後まで続くことを示しています。創造の秩序では親子関係や他の人間関係も重要ですが、何よりも夫婦関係が優先されるべきであることがわかります。
「一体となるのである」とは、肉体的な結びつきだけでなく、人格的・霊的にも完全に一致することを意味します。結婚の目的は快適さではなく、一致にあります。神は「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と命じられましたが、人は一致を通して神の家族を築くことが望まれているのです。男性と女性が補い合い一致することで、神の性質を映し出せるのです。
また「ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」(創世記2:25)とあります。裸とはありのままの姿であり、罪が入る前は夫婦に隠し事がなく、完全な信頼と自由があったことを示します。つまり夫婦が一致するためには、恐れや恥ではなく、完全な信頼と自由が必要だとわかります。
4. 結婚の聖書的目的を大切にしよう
まず、結婚は神の定めた創造の秩序であることを覚えましょう。
「すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。」(ヘブル13:4)
結婚は神様が人間のために特別に設けられた制度です。結婚を単なる人間の制度として見るのはやめましょう。そうすると、結婚を損得勘定や自分の満足、義務感のためだけにするようになります。
ダビデ王はバテシバと不正な関係を持ち、結婚の神聖さと秩序を破壊しました。その結果、バテシバの夫を死なせ、家庭を破壊し、子どもを失う罰を受けました。
一方、アブラハムはサラと結婚して子どもを授かり、神の栄光を現す者となりました。神様に呼ばれたとき、アブラハムはすでにサラと結婚していましたが、神様はこの結婚を祝福の通路として用いられました。結婚は人間を縛るためにあるのではなく、祝福をもたらすために与えられたのです。
次に、結婚は一致のためであることを覚えましょう。
「彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。」(マタイ19:6)
神様は男性と女性が補い合い一致することで、神のイメージを現せるように作られました。一致を通して神の家族を築いていけるのです。夫婦間が引き裂かれるほど、子どもに与える影響が悪くなります。人間は子どもを産んで終わりではなく、神の家族を築く使命が与えられています。
アブラハムはサラの主張に従い、奴隷ハガルを通してイシマエルを産みました。一見、目的を達成し、神の計画が進んだように見えました。しかし、その後ハガルはサラを見下し、サラはアブラハムを非難し、イシマエルも生まれるイサクを見下すようになりました。夫婦の不一致が家庭の崩壊をもたらした例です。
一方、ダビデはバテシバとの罪の後、悔い改めと責任を取り、関係を修復しました。その結果、次の王ソロモンを授かりました。夫婦の一致が家庭に回復をもたらした好例です。神の元での夫婦の一致は神の家族を築く力となります。
5. 最後に
どうか結婚生活を大切にしてください。結婚は神様が私たちのために用意された創造の秩序であり、夫婦の一致を通して良い家庭が築かれます。
自分の感情や欲望に流されるのではなく、努力や才能ではなく、神の前で夫婦の一致を目指しましょう。そうすることで、神にも喜ばれ、自分たちも喜びに満たされる家庭を築けます。
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