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道はイエスである(ヨハネ14:6)
고요한 2026-04-11 추천 0 댓글 0 조회 10

20260412日本語礼拝

聖書:ヨハネ14:6

題目:道はイエスである

賛美:44、436、545

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭14‬:‭6‬ 口語訳‬

1.道がわからない時

 私たちは、道が分からなくて困った経験があるのではないでしょうか。例えば外国旅行で、穴場のスポットに行こうとして道に迷ったとします。勇気を出して誰かに尋ねると、その人は親切に一生懸命説明してくれます。しかしその時、私たちの心の中には様々な思いが湧いてきます。「すみません…ちょっと難しくて、方法がよく分かりません…」「この人の言っていること、本当に正しいのだろうか?」「みんなにわかりやすいように掲示してくれたらいいのに…」説明を聞いているのに理解できない。聞いているのに、どこか信じきれない。そして分からないまま立ち止まってしまいます。

 では逆に、外国から来た人が日本で道に迷い、私たちに尋ねてきたらどうでしょうか。言葉も十分に通じない中で、いくら丁寧に説明しても、やはり伝わらないかもしれません。その時、一番確実な方法は何でしょうか。それは、「ついて来てください」と言って、実際に一緒に歩いてあげることです。説明ではなく同行すること。情報ではなく、関係の中で導くことです。そして、その言葉を信じてついて来た人だけが、目的地にたどり着くのです。

 信仰の世界はもっとそうです。ヨハネによる福音書14章では、弟子達も同じような姿を見せています。「どうすればいいのか知りたい」「本当に正しいのか確信がほしい」「もっとはっきり分かる形で示してほしい」。しかしイエス様は、そのすべてに対して方法や証拠を与えるのではなく、こう言われました。「わたしが道である」と。信仰とは、すべてを理解してから進むことではなく、イエス様を信じてついて行くことなのです。

2.本文解説

①背景:弟子たちの不安

 この場面は最後の晩餐の後、ゲッセマネの園に向かう前の出来事です。弟子たちは心を騒がせていました。弟子の中に裏切り者がいること、イエスが去って行かれること、そしてペテロが三度イエスを否定することが語られたからです。その中でイエスは、「あなたがたのために場所を用意しに行く」「その道はあなたがたも知っている」と言われ、だからこれから起こる十字架の出来事の中でも心を騒がさないようにと語られました。

②トマスの質問:方法を求める信仰

 トマスは言いました。「私たちには分かりません。道を教えてください。」彼は道を見つける方法を求めました。しかしイエスは、「わたしが道である」と答えられました。方法を教えるのではなく、ご自身が道そのものだと言われたのです。信仰とはノウハウではなく、イエスとの同行です。そしてイエスを通してのみ、父なる神を知ることができるのです。

③ピリポの質問:証拠を求める信仰

 ピリポは言いました。「父なる神を見せてください。」彼はその道の正しさの証拠を求めました。イエスは、「わたしを見た者は父を見た」と答えられました。イエスの生涯、そして十字架を通して、父なる神はすでに現れているのです。神は証明される存在ではなく、出会う存在です。そしてイエスは、信じる者に聖霊を与え、その現実を体験させてくださいます。

④タダイの質問:分かりやすさを求める信仰

 タダイは言いました。「なぜ世には現れないのですか。」彼の中には、神はもっと分かりやすく現れるべきだという考えがありました。しかしイエスは、「愛する人に現れる」と答えられました。イエスは質問の前提そのものを変えられたのです。神の現れは、テレビやステージのショーのようなものではありません。関係の中で現れるものです。神の愛はすべての人に注がれていますが、それを経験するのは神を愛する人です。

三人に共通する問題とイエスの答え

 三人の質問には共通点があります。トマスは方法を求め、ピリポは証拠を求め、タダイは分かりやすさを求めました。しかしイエスはすべてに対してこう答えられました。「わたしが道であり、真理であり、命である」と。答えは方法ではなく、イエスご自身なのです。   イエスの道を共に歩むことで、これらの疑問は解消されるのです。

3.適用

 私たちは、どうすればうまくいくのか、何が正しいのか、もっと分かりやすくしてほしいと考えます。しかしイエスは、「わたしが道である」と言われます。私たちは理解してから進もうとしますが、イエスは「ついて来なさい」と言われます。説明が十分でないと不安になり、証拠がないと踏み出せず、分からないと立ち止まってしまいます。

 しかし、ついて行かない限り、分かることはありません。ある子どもが父親と長い時間を過ごしていても、それだけでは父の思いを本当に理解することはできません。しかし成長し、同じ道を歩むようになったとき、初めて父の思いが分かるようになります。

 弟子達も同じでした。イエスは3年半の伝道人生の中で、弟子達と関係性を作っていき、その中で御言葉を教えましたが、弟子達はイエスについて正しく理解できていませんでした。そしてイエスが十字架にかかった時、弟子達は逃げてしまいました。しかし、弟子達が復活したイエスと再会し、イエスと同じ道を歩み始めてから、彼らはイエスを正しく理解できるようになりました。そして死に怯えて逃げ隠れする人生から、死を前にしても恐れない人生を生きるようになりました。

 信仰は遠くから見ているだけでは分かりません。つながり、共に歩む中で初めて見えてくるのです。皆さんは今、方法ばかり求めていませんか。証拠を待ち続けていませんか。完全に理解できるまで立ち止まっていませんか。イエスの言葉を信じて一歩踏み出してください。イエスの道は「分かってから従う」のではなく、「従う中で分かる」のです。説明の中にあるのではありません。イエスと共に歩く中にあるのです。

4。まとめ 

 私たちは方法・証拠・分かりやすさを求めます。しかしそれだけでは、本当の意味では道は分かりません。イエスは「わたしが道である」と言われ、方法ではなくご自身を示されました。信仰とは理解してから進むことではなく、イエスについて行くことです。共に歩む中で初めてイエスが誰であるかが分かるようになります。見るだけ、聞くだけでは不十分なのです。だから今、立ち止まるのではなく、イエスを信じて、教会に参加し、御言葉を実行しましょう。 

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