20211105早朝祈祷会
聖書箇所:ペテロの手紙第一2:1-25
題目:つまづかないために
賛美:15
説教:高曜翰 伝道師
場所:Jesus Love Church
1.神様の恵みを味わった人はどのように生きるべきか(1-5節)
神様の恵みを受けた者は、まず悪いことや嘘を捨て、生まれたばかりの子供のように霊の乳を求めるべきです。ここでいう霊の乳とは御言葉のことであり、世の中の物ではなく神様の言葉を探すことが求められています。たとえば、浮気を許してくれた妻の愛を知った人は、その愛に応えるように生きるべきです。
また、私たちは「生ける石」となり、聖なる祭司として生きるよう求められています。マタイ16章18節で、ペテロ(岩)の上に教会が建てられるとあるように、私たちは神の家族を建てるための土台となる存在です。祭司として生きるとは、人々を神の前に導く者となることであり、人から賞賛を求めるのではなく、見えないところでも人々が神様と出会えるように働くことを意味します。たとえば、神の家族を作るために犠牲となる人がこれに当たります。
2.キリストが「つまずきの石」となるのはなぜか(6-8節)
キリストがつまずきの石となるのは、私たちが御言葉に従わないからです。たとえば、妻より愛人を優先するような生き方がその例です。また、これは神の計画の中で定められていたことでもあります。十字架でキリストを殺したユダヤ人たちの行為も、神の大いなる計画の一部でした。しかし、これは神が自分の計画のために人間に罪を犯させたという意味ではありません。私たちがキリストの石につまずくのは、御言葉に従わないから起こる当然のことです。
3.なぜ私たちは神の民として選ばれたのか(9-10節)
私たちは神の民として選ばれ、神の技を語り伝えるためです。また、神の民となったことで憐れみを受けています。キリストがつまずきの石となったのは、当時の人々がそれを知らなかったためですが、今は私たちはキリストの憐れみと業を知っています。私たちは「許してほしい」とせがむのではなく、神の選びに感謝して生きるべきです。たとえば、日常生活で妻に逆切れしてしまうことを省みることもこれに含まれます。
4.ペテロが聖徒たちに求める生き方(11-17節)
ペテロは、信徒が旅人として肉の欲を避け、神の国の住民として犯罪を避けることを求めています。また、異邦人の中にあって立派な行いをすることで、神の国の住民として認められることも重要です。権力には従い、神が定めた権威を認めることも勧められています。
さらに、善で愚かな人の口を封じることも必要です。悪に悪で報いるのは、子供が大人に逆らうようなものであり、正しい行動ではありません。そして自由人のように行動し、人を恐れる必要はありません。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を恐れ、王を尊ぶことも求められます。嫌いな人も好きな人も敬意をもって接することが大切です。
5.働く人がすべきこと(18節)
働く者は、良い主人にも難しい主人にも同じように仕えなければなりません。人によって態度を変えることなく、常に誠実に仕えることが求められます。たとえば、会社で上司によって態度を変えることのないようにすることです。
6.聖徒は何のために召されたのか(19-21節)
善い行いをして苦しむことがあっても、神は祝福してくださいます。他人のために犠牲になることは良いことであり、それは信仰の態度にかかっています。「こんなに良いことをしているのに!」と不当な苦しみに怒るのではなく、むしろ感謝すべきです。
7.イエスが十字架で死んだ理由(22-25節)
イエスは私たちをいやすため、そして神のもとに立ち返らせるために十字架で死にました。私たちが苦しむのも、愛する人々が癒され、神のもとに立ち返らせるためです。たとえば、日常でイェナの世話をすることもこれに当たります。
結論
私たちは、偽物のようなクリスチャンを見ても腹を立てず、自分自身を顧みるべきです。清く生きることに不満を感じるのではなく、感謝の心をもって生きることが求められます。


댓글0개