20220326土曜祈祷会
聖書:創世記11:1–9
主題:バベルの塔
賛美:491番
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.私たちを満たすもの
人間は本来、神のもとで生きるように造られた存在です。
植物が土から離れては生きられないように、私たちも神から離れては本当の意味で生きられません。
しかし、罪によって私たちは神から切り離され、常に心の渇きを抱える者となりました。
その渇きは、神のもとに立ち返ることでのみ満たされるものです。
ところが、悪魔は「神になれば満たされる」と偽りを教えます。
(例:エバへの誘惑、神のようになろうとしたネフィリム)
バベルの塔とは、人間が自分の限界を越えて神になろうとした試みそのものです。
魚には水という生きる場所があり、陸に上がっては生きられません。
それなのに人間は、自分の居場所を越え「神の領域」に踏み込もうとします。
2.バベルの塔に対する解説
●「全地は一つの言葉」
本来、一つの言語は信仰を守るために用いられるべきものでした。
しかし彼らは、それを神への反逆のために用いたのです。
●「東の方から移動してきて」
聖書で「東」はしばしば神の地への入口を示します。
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エデンの東に置かれたケルビム
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ヨルダン川を渡って約束の地へ
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幕屋の入り口は東向き
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東方の博士たち
彼らは神の地へ向かうように見えて、その心は神から離れていきました。
●「シヌアルの平地」
チグリス川とユーフラテス川の間。エデンと似た環境。
のちのバビロンの地です。
ここは「私は反逆する」という名を持つニムロデの支配地域でした。
●「レンガと瀝青(アスファルト)」
高い技術力を象徴します。
石とモルタルより進歩していますが、神の前では人間の技術など取るに足りません。
●「街と塔を建てよう」
彼らは祭壇を築きませんでした。
つまり 神を礼拝する心が完全に失われていた のです。
エデンから追い出されたにもかかわらず、バベルによって「人間の力で」神に近づこうとしました。
●「名をあげよう」
彼らはネフィリムのような名声、
最終的には “神の名” を得ようとする傲慢 に落ちていきました。
●「散らされるといけないから」
これは、ノアに与えられた「地に満ちよ」という祝福を誤解した言葉です。
神の祝福に逆らって都市に固まろうとしました。
●「見に降りて来られた」
人間の努力は、神の前では取るに足りないものです。
どれほど高く積み上げても、神は「降りてこられなければ」見えないほど小さなものでした。
●「言葉を混乱させよう」
誤った方向へ向かう努力は、神の怒りを買います。
祝福を間違って用いるなら、それは取り上げられるのです。
●「彼らは街を建てるのをやめた」
神は、ノアへの祝福(地に満ちよ)を成就させるために、人々を散らされました。
3.ニムロデについて
ニムロデは、人々を支配し、
神のかわりに自分を中心にさせた人物です。
彼は
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偽りの宗教
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偽りの技術
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偽りの保証
をもって人々の心をつかみました。
しかし、私たちが満たされるのは、そのようなものではなく
本来の場所──神のもとに戻るときのみです。
神になろうとすることでも、名声を得ることでもなく、
神の言葉に従順になることが、私たちの祝福の道です。


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