20251211早天祈祷会
聖書:使徒28:1-10
題目:今この時が使命の時
賛美:352、353
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
聖書朗読(使徒の働き28:1–10)
(※本文はそのまま使用可)
Ⅰ.本文解説
① マルタ島の人々の歓迎
船の難破から救われた後、彼らが流れ着いたのはマルタ島でした。この島は地中海の中央、シチリア島の南約90kmに位置する小さな島で、縦29km、横13kmほどの広さしかありません。
そこに住んでいた人々は、ギリシャ語で「バルバロイ(異邦人)」と呼ばれていましたが、これは必ずしも悪い意味ではなく、グレコ・ローマ世界とは異なる文化圏の人々を指す言葉でした。彼らはフェニキア系の人々であったと考えられています。
その島の人々は、276人ものパウロたちを非常に親切にもてなしました。雨が降り、寒さの厳しい中で火をたき、全員を温かく迎え入れたのです。
② マムシに噛まれたパウロ
その時、パウロは火を起こすために木の束を集めて火にくべました。すると、その熱によって冬眠していた毒蛇(マムシ)が出てきて、彼の手に噛みついたのです。
現在のマルタ島にはマムシは生息していませんが、当時は存在していたと考えられます。
これを見た島の人々は、「この人はきっと人殺しに違いない。海からは助かったが、正義の神ディケが彼を生かしておかないのだ」と言いました。彼らは、蛇に噛まれたことを神の裁きだと理解したのです。
しかしパウロは、何事もなかったかのようにその蛇を火の中に振り落としました。人々は、やがて彼が腫れ上がるか突然倒れて死ぬだろうと考えて見守っていましたが、長い時間が経っても何も起こりませんでした。
そこで彼らは考えを変え、「この人は神だ」と言い始めました。
③ 島の首長ポプリオとの出会い
その近くには、島の首長であるポプリオという人物の土地がありました。彼はローマ人の名前を持っていることから、おそらくローマ人であったと考えられます。
彼はパウロたちを招き、三日間にわたって親切にもてなしました。おそらくマムシの出来事を通して、パウロに強い印象を受けていたのでしょう。
その時、ポプリオの父が熱病と赤痢にかかり、寝込んでいました。これは「マルタ熱」と呼ばれるブルセラ症であった可能性があります。古代マルタではよく見られた病気で、ヤギの生乳などから感染したと考えられています。
パウロはその人のもとに行き、祈って手を置くと、彼は癒されました。この出来事がきっかけとなり、島の他の病人たちも次々とやって来て癒されていきました。
そして三ヶ月後、彼らが島を離れる時、人々は必要なものを豊かに備えて送り出したのです。
Ⅱ.適用 ― 今この時が使命の時
① 足止めの中にある神の目的
パウロは、本来ローマに行き、そこで福音を証しするという重要な使命を持っていました。しかし船は大破し、マルタ島で三ヶ月も足止めされることになりました。さらに蛇にまで噛まれるという出来事が起こりました。
しかしこれは偶然ではありませんでした。神がその場所で働かれるために備えられた出来事だったのです。
私たちは、計画通りに進まない時、「早くこの状況を抜け出したい」と思います。しかし、そこには神の目的があるかもしれません。「足止め」ではなく、「使命の場所」として見る視点が必要です。
② 癒しは神の働きである
パウロは、ポプリオの父だけでなく、島の多くの人々を癒しました。しかし彼は、自分自身や仲間をいつも癒すことができたわけではありません。
パウロ自身も弱さを抱えていました(Ⅱコリント12:7–8)。テモテにも体の問題があり(Ⅰテモテ5:23)、トロピモも病気のまま残されました(Ⅱテモテ4:20)。
つまり、癒しはパウロの能力ではなく、神が必要な時に必要な分だけ働かれた結果だったのです。
③ 神の器として生きる
私たちに必要なのは、「神が働かれる器となる覚悟」です。
能力は、自分の思い通りのタイミングで与えられるのではなく、神のタイミングで、必要な分だけ与えられます。イエスは権威そのものを持っておられましたが、私たちは神が働かれる器です。
だからこそ、計画通りにいかない時にイライラするのではなく、「神は今ここで何をなさろうとしているのか」を求める姿勢が大切です。
Ⅲ.まとめ
第一に、パウロの足止めやマムシの出来事は偶然ではなく、神がその場所で働かれるために備えられた「使命の場」でした。
第二に、癒しの力はパウロ自身の能力ではなく、必要な時に必要な分だけ神が与えてくださった恵みでした。
第三に、私たちも自分の計画ではなく、神のタイミングと導きを信じ、「今この時、この場所」で神の器として用いられる覚悟を持つことが大切です。
今日この瞬間も、神は働いておられます。
今この時を、使命の時として歩んでいきましょう。


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