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縛られないパウロ(使徒28:17–22)
고요한 2026-04-13 추천 0 댓글 0 조회 4

 

20251216早天祈祷会

聖書:使徒28:17–22
題目:縛られないパウロ
賛美:499、502
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会


聖書本文(使徒の働き 28章17–22節)

三日たってから、パウロは重立ったユダヤ人たちを招いた。みんなが集まったとき、彼はこう語った。

「兄弟たちよ、わたしはイスラエルの民や先祖の慣習に背いたことは一度もありません。それにもかかわらず、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されました。ローマ人は取り調べた結果、死に当たる罪がないとして釈放しようとしましたが、ユダヤ人たちが反対したため、やむを得ずカイザルに上訴しました。しかしこれは、同胞を訴えるためではありません。

こういうわけで、あなたがたに会って語り合いたいと願っていました。実は、イスラエルの望みのゆえに、わたしはこの鎖につながれているのです。」

すると彼らは答えた。

「私たちはユダヤからあなたについての手紙を受け取ったこともなく、また兄弟の中であなたについて悪く報告したり語った者もいません。ただ、あなたの考えを直接聞きたいと思っています。この宗派については、どこでも反対されていることは知っています。」


1.本文解説

(1)三日後、パウロはユダヤ人たちを集めた

ローマ到着から三日後、パウロはユダヤ人の指導者たちを自分の家に招きました。

ローマには1万から5万人ほどのユダヤ人がいたと言われています。しかしパウロは鎖につながれた状態であったため、教会や会堂に出向くことができませんでした。そのため、敵対の可能性がある会堂ではなく、自分のもとに人々を招いたと考えられます。

その目的は三つありました。第一に、ユダヤ人への伝道です。パウロは「まずユダヤ人、それから異邦人」という姿勢を持っていました。第二に、自分がローマに来た理由を説明する必要があると考えたからです。第三に、17節から20節において、使徒の働き22章から26章までの出来事を要約して説明しています。

また、カイザルに上訴した理由についても語られています。パウロは律法違反を犯していないにもかかわらず、ユダヤ人に捕らえられました。ローマ人は釈放しようとしましたが、ユダヤ人が反対したため、やむを得ず上訴したのです。しかし彼は、自分がローマに来た理由は「イスラエルの望み」のためであると告白しました。


(2)ローマのユダヤ人たちの反応

ローマのユダヤ人たちは、パウロに対する悪評をほとんど知らなかったと語りました。

当時、エルサレムとローマのユダヤ人たちは頻繁に交流していたはずですが、なぜかパウロに敵対する人々からの情報は伝わっていませんでした。このことから、すべての人が自分の反対者のように見えても、実際にはそうではない人々がいることが分かります。

ただし彼らは、「この分派」がどこでも反対されていることは知っていました。この分派とはナザレ派、すなわちキリスト者のことです。彼らはキリスト者についての情報は持っており、パウロがその一人であることも理解していました。

それでもローマのユダヤ人たちは、直接本人から話を聞こうとする誠実さを持っていました。


2.適用

(1)パウロの関心は福音にあった。それが彼を自由にした

パウロの置かれた状況は、決して良いものではありませんでした。

彼は罪を犯していないにもかかわらず、同じ民族の人々から命を狙われました。ローマも完全に頼れる存在ではなく、最終的にはカイザルに上訴するしかありませんでした。またローマへ向かう途中では船が難破し、命の危険にもさらされました。

しかし、それでもパウロは不満を口にすることはありませんでした。なぜなら、ローマに来ること自体が神から与えられた使命であると理解していたからです。

鎖につながれて外に出られない状況であっても、人々に来てもらうという形で福音を伝えました。また環境や人を恨むのではなく、「イスラエルの望み」のためであると語りました。

福音に生きる者は、たとえ鎖に縛られていても、その心は自由です。

他人と比較して恥じる必要はなく、むしろ神が自分のために与えた特別な環境の中で生きることができます。パウロにとってローマは、神が彼を送られた使命の場所であり、期待すべき場所でもありました。

さらに、私たちはイエス以上に苦しむ人生を送ることはありません。イエスは最も低いところに生まれ、すべての人を救うために最も困難な道を歩まれました。

私たちも同じような道を通ることはあっても、それ以上ではありません。そしてイエスと違い、私たちは一人ではありません。

だからこそ、私たちもパウロのように、たとえ鎖につながれていても自由に生きることができるのです。


3.まとめ

パウロは鎖につながれていても、彼の人生を縛っていたのは環境ではなく、ただ福音への使命だけでした。

彼は不満や弁明ではなく、「イスラエルの望み」のために生きていることを誇りとして語りました。

福音に生きる者は、どのような状況に置かれても心は自由です。そして神が与えられたその場所で、主の働きを担うことができるのです。​ 

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