20251213土曜祈祷会
聖書:ネヘミヤ1:1-11
題目:ネヘミヤ―今持っているものの理由
賛美:546
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
Ⅰ.背景
バビロン捕囚後の時代、イスラエルの民は段階的にエルサレムへ帰還していました。
まず、神殿はゼルバベルによってすでに再建され、また律法はエズラによって回復されていました。しかし、城壁は崩れたままであり、人々は外敵にさらされ、霊的にも社会的にも不安定な状態に置かれていました。
そのような状況の知らせを聞いた一人の人物が、ペルシャの王宮にいました。それがネヘミヤです。
Ⅱ.ネヘミヤとはどんな人物か
(1)王の献酌官(1:11)
ネヘミヤはアルタクセルクセス王の献酌官でした。これは単なる給仕ではなく、王の命を守る重要な役職であり、王から絶対的な信頼を置かれる側近の立場です。
この役職には、政治的判断力、知恵、そして人格が求められます。
つまりネヘミヤは、安定・名誉・影響力・安全、そのすべてを持っていた人物でした。
(2)同胞の苦しみに「心を打たれた人」(1:4)
ネヘミヤは、エルサレムの惨状を聞いたとき、次のように反応しました。
「私は座って泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して祈った」(1:4)
彼は「自分には関係ない」と切り捨てることも、「仕方がない」と諦めることもありませんでした。同胞の痛みを、自分自身の痛みとして受け止めたのです。
ここで思い起こされる御言葉があります。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:13)
すなわち、神の働きは無関心な人からではなく、心を痛める人から始まるのです。
Ⅲ.ネヘミヤの祈り(1:5–11)
(1)神の偉大さを認める祈り(1:5)
ネヘミヤはまず、「大いなる恐るべき神」と神を仰ぎました。
これは、問題よりも先に神を見る祈りです。
(2)自分も含めた悔い改め(1:6–7)
彼は「私も、私の父の家も罪を犯しました」と祈りました。
ここには指導者としての姿勢が表れています。
それは他人の罪を責める祈りではなく、自分自身を含めて神の前に立つ祈りです。
(3)約束を握る祈り(1:8–9)
ネヘミヤはモーセの言葉を引用し、神の約束を根拠に祈りました。
感情に流されるのではなく、御言葉に立った祈りでした。
(4)自分を「神の道具」として差し出す祈り(1:11)
ネヘミヤはこう祈りました。
「どうか今日、しもべを成功させ、この人の前にあわれみを得させてください」
これは「私を助けてください」という祈りではなく、「私を用いてください」という祈りです。
Ⅳ.与えられたものは何のためにあるのか
私たちが今持っているものは、いったい何のためにあるのでしょうか。
知恵、経験、地位、時間、経済力、人間関係――それらはすべて目的をもって与えられています。
ネヘミヤは「自分が献酌官であること」を、同胞を救うために用いる決断をしました。
ここで、パウロの言葉が思い起こされます。
「種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。」(第二コリント9:10)
Ⅵ.結論
ネヘミヤの何が素晴らしいのでしょうか。
それは、城壁を52日間で完成させたことではありません。
自分の心が痛む人々のために、与えられているものを用いたことです。
その結果、神が道を開いてくださいました。
私たちに与えられているものも、決して自分のためだけではありません。
それは誰かの回復のため、教会のため、そして次の世代のためではないでしょうか。
私たちには、蒔くために与えられた種があります。
だからこそ、ネヘミヤのように心を閉ざさず、与えられたものを抱え込まず、まず始めてみましょう。
神は、蒔かれた種を必ず実らせてくださるお方です。


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