20211205日曜礼拝
聖書:サムエル上 4:21-22
題目:いつ私たちは敗北するか?
説教:高曜翰 伝道師
場所:Jesus Love Church
0.金曜日礼拝のおさらい
金曜日の礼拝では、私たちが平安を得ようとしながらも、しがみつく必要のないものにしがみついてしまう姿について学びました。
人に依存する生き方――自分を助けてくれる人に頼り、あるいは自分を苦しめる人のせいにする。
環境に依存する生き方――一つの問題に執着し、過去に責任を負わせてしまう。
私たちは原因を取り除くことに必死になって祈りがちです。しかし、ハンナは主にしがみつく決意をしました。ペニンナはそのまま、子どもはまだ与えられていない、環境は何も変わっていない。それでもハンナは平安を得ました。
しかし、主にしがみつきたくても、それができない人々もいます。今日はその理由を見ていきます。
1.日本人の夫婦喧嘩ベスト3
① 言葉遣い(말투) – 同じ内容でも言い方によって受け取り方は大きく変わります。
② 生活態度(생활태도) – 言っても行動しないことで不満が生まれます。
③ 対話不足(대화부족) – 一方的に相手を想像し、勝手に決めつけてしまう。
クリスチャンも神様とのコミュニケーション不足によって、主との距離が生まれます。その結果、自分の想像した神の姿と、実際の神とのギャップに失望してしまいます。
2.イスラエルの堕落
士師記の時代、人々は神様に尋ねることをやめ、自分たちの基準で生きるようになりました。神様とのコミュニケーションが断たれた結果、神から離れ、神が分からなくなっていきました。
エリの息子であるホフニとピネハスは、「主を知らない祭司」でした(1サムエル2:12)。
彼らは神の望む方法ではなく、自分たちの望む方法で礼拝を行い、捧げものを盗みました。
また、父エリも彼らの悪事を止めることができませんでした。
士師記のミカの例に見られるように、人々は自分の家に礼拝堂を建て、都合の良い祭司を雇うなど、自分勝手な信仰へと堕落していったのです。
3.ペリシテとの戦争
ペリシテは鉄の武器を持つ強国でしたが、イスラエルの人々は主に尋ねることをしませんでした。その結果、4,000人が戦死しました。
敗北の原因を探した人々は、「契約の箱を戦場に持ってこよう」と考えました。まるで主の手が短いかのように、契約の箱を“道具”として使おうとしたのです。本来は自分たちが幕屋に入り、主に尋ねるべきでした。
箱が運ばれてきたとき、イスラエル陣営は歓声を上げ、その音は地鳴りがするほどでした。ペリシテ人は400年前の敗北を思い出して恐れ、「神々が来た」と震え上がりました。イスラエルは勝利を確信したように見えました。
しかし結果は全く逆でした。3万の兵が倒れ、契約の箱は奪われ、ホフニとピネハスは死亡。さらに、エリもその知らせを聞いて倒れて死にました。ピネハスの妻は出産の際、「栄光はイスラエルを去った」と言いました。
4.敗北の原因
では、なぜ栄光はイスラエルから去ったのでしょうか。
● ペリシテの高度な文明のせいでしょうか?
― 彼らはむしろイスラエルを恐れていました。
● 契約の箱が奪われたからでしょうか?
― それも本質ではありません。
真の原因は、主の心が離れていたこと、そしてイスラエルの心が主から離れていたことでした。
イスラエルの神への態度は、もはやペリシテの偶像崇拝と同じレベルまで落ちていました。
エリは40年間イスラエルを裁きましたが、主の声を聞くことはありませんでした。主が語られたのはサムエルだけでした。
主の言葉を軽んじ、息子たちの罪を放置した結果が、この敗北だったのです。
5.関係の回復
夫婦関係が回復するためには、相手と対話し、相手を知ることが必要です。
同じように、私たちが神様との関係を回復するには「コミュニケーション」が欠かせません。
では、どうやって神様と対話するのでしょうか?
① 聖書を読む – 神様の言葉はすべて聖書に記されています。聖書を読むことで神様を知ることができます。
② 祈る – 神様の言葉に対して私たちが応答することです。祈りを通して、自分のすべきことが分かります。
しかし、一方的な祈りではいけません。
相手の顔を見ずに話すのは、もはや対話ではありません。
神様を見ず、神様のくださる祝福だけを求めるなら、それは対話ではありません。
結婚相手を収入や地位、職業や外見だけで判断してはいけないのと同じように、神様を祝福の“条件付きの存在”のように扱ってはならないのです。
6.対話によって得られたこと
私はこの教会に来て、聖書を多く読み、祈りを重ねる中で、自分がどれほど一方的な祈りをしてきたかに気づかされました。
昔の私は祝福を得るために信仰し、奉仕し、祈っていました。
その背景には、自分のコンプレックスや自信のなさがありました。
父からは努力するように厳しく言われ、いつも怒られて育ちました。
だから、努力して祝福を受け、「能力ある人間にならなければならない」と思い込んでいました。
両親にも申し訳ない思いがありました。
両親は何人もの女性を紹介してくれましたが、彼女ができませんでした。
「頼りない、男らしくない、いい父親にはなりそうだけれど…」そんな言葉にも傷つきました。
自分が教会にいると、人が減るのではないか。神様にも申し訳ない…。
しかし、それはすべて誤った思い込みでした。
両親もまた、私たちに申し訳なく思っていました。
家が貧しく、日本のことにも詳しくない。もっと良い教育を受けさせたかった…。
姉は貧しい食事や、風呂がない生活、エレベーターのない5階での暮らしに不満を言いました。
しかし、この「申し訳なさ」こそが神様の導きを無視する思いでした。
貧しかったからこそ努力できた。
彼女ができなかったからこそ神学を始めたのです。
野口英世は、幼少期に負った火傷のせいで多くを諦めなければなりませんでしたが、その傷が彼を世界的な学者へと導きました。
私たちも、自分の知識不足や経済的な弱さを理由に、「子どもに申し訳ない」と思いがちです。
しかし、その考えにしがみつくことは、神様の導きを無視し、罪にもなります。
罪には中毒性があり、その考えが私たちを支配すると、神様との対話の時間を失います。
そして「申し訳なかった」という敗北感を抱いて、一生生きることになってしまいます。
私自身、青年部を担当する中で、自分の能力不足を申し訳なく思ってきました。
しかし、今神様にしがみついて生きているのなら、過去のすべての経験は神様が良いものに変えてくださる。
同じように、親として「申し訳ない」と感じている人は、その思いを手放してください。
今こそが、神様の導きの中で最善の時であると信じてください。
7.結論
私たちが敗北するのは、持っているものが足りないからではありません。
主を知ろうとせず、主と対話をしないからです。
申し訳ない気持ちやコンプレックスに支配されないでください。
私たちの人生は、常に神様の導きの中にあります。
神様と向き合い、対話する間、私たちは敗北しません。
常に主とつながり、祈り続ける者は勝利します。
祈りましょう。


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